長壁様(おさかべさま)
前橋東照宮の御本殿に鎮まる長壁様(おさかべさま)
関西屈指の人気パワースポット姫路城!

今、関西で人気のパワースポットは姫路城天守閣の最上階。

ここには刑部神社が祀られておりますが、この刑部神社の神様は今から260年ほど前(1749年)に前橋に遷されて(引っ越して来て)いる事を皆様ご存知ですか。

ですから現在の姫路城天守閣の刑部神社は1749年まで刑部様が祭られていた跡宮なのです。それでもパワースポットとして人気があります。

それはあまりにもパワーが強い神様が祀られていた後にはパワーが残っているからなのです。

この様な例は全国では多々あり、特に伊勢市の神宮が現在の三重県に祀られる前に鎮座していた場所は今でも元伊勢宮として京都府にあってパワースポットとして訪れる人々が絶えません。

姫路城 姫路城
本殿に鎮まる長壁様 本殿に鎮まる長壁様
前橋藩五代藩主松平朝矩 前橋藩五代藩主松平朝矩
前橋へ遷された刑部様

江戸時代、姫路城主であった大名、松平朝矩は幕府の命により前橋城へ移ることとなり、この時に天守閣に祀っていた刑部様を伴って前橋へ引っ越して来たのです。

あまりにも強すぎる長壁様のパワー

しかしこの時、松平朝矩は刑部様を前橋城の天守閣には祀らず、城の未申の地に祠を建て、長壁大神として鎮めたのですが、天守閣に入れてもらえなかった長壁様はお怒りになり、利根川を氾濫させ前橋城の本丸の一部を押し流してしまいました。

松平家は已む無く前橋城を手放し分領であった川越へ移ることとなったのです。

霊験あらたかなれど崇りも恐ろしい長壁様

そして松平朝矩は1767年に長壁様を残したまま川越へ引っ越してしまいました。実はこの時、朝矩の夢枕に長壁様が現れ「一緒に川越へ連れて行ってほしい」と懇願したそうですが、朝矩はそれを断ってしまったのです。すると朝矩は川越で病に倒れ、翌年31才という若さで亡くなってしまったのです。朝矩の跡は7才の直恒が継ぎ、百年が川越で過ぎてゆきますが、遠く前橋に長壁様を残したままの松平家の藩政は赤字が続き、累積23万6千両という借金を抱えてしまうのです。

一方長壁様の残った前橋では幕末になると生糸の輸出で、街は好景気に沸き、城を修復して殿様を川越から呼び戻す気運が高まり、城の改築を幕府に申し出た処、幕府も万が一江戸城が攻撃された時の非難場所として前橋城は利用できると考え、前橋城の改築を許可したのです。幕府のお墨付きと生糸輸出の好景気の資金により幕末には世界一強固ともいえる城が誕生し、松平の殿様は前橋城へ戻ってまいりましたが、長壁様は城には入れてもらえず、相変わらず未申の地の祠に鎮められたままでした。

松平の殿様が前橋城にもどって一年もたたないうちに今度は明治維新を迎え城を明治政府に明け渡すことなってしまったのです。明治政府は世界一強固な城は「百害あって一利なし」と即座に城を取り壊してしまいました。この時、長壁様が城内に祀ってあったら歴史はどうなっていたでしょう?

さて明治になっても利根川は度々氾濫するので、政府は長壁様を利根川の崖淵の祠から東照宮の本殿に鎮めるよう指示し、長壁様は東照宮の本殿にお遷しされたのです。するとそれを機に利根川は氾濫することもなくなり、前橋の生糸産業は益々栄え、氏子の人々に支えられ長壁様の鎮まる東照宮の社各は二階級も上がり、県社にまで列せられたのです。

戦災から東照宮を守った長壁様のパワー
利根川崖淵にお祀りされていた祠 利根川崖淵にお祀りされていた祠

そして迎えた太平洋戦争末期の昭和20年8月5日、米軍の前橋空襲により前橋の街は殆ど焦土と化したのですが、長壁様の鎮まる東照宮の社殿だけは火災を免れることが出来たのです。

B29爆撃機、12機による空襲により境内の茶店や社務所は焼失し、東照宮の社殿を囲う塀にも焼夷弾が落とされ燃え広がろうとした時、神社職員が消火に当たるも人手が足りずうろたえていると、 何処からとも無く提灯を持った十数名の兵隊が現れ、境内を流れる風呂川からバケツリレーをして手際よく消し止めてくれたと伝えられております。

そして当時の宮司がお礼を言おうとすると兵隊は忽然と消えてしまったそうです。そして持っていた提灯には「長壁大神」の文字があったそうです。65年経った今でもこの焼夷弾を消した跡はハッキリ残っています。

長壁様のパワーを戴く 神前結婚式

終戦後、新憲法が公布され氏子よりの醵出金が無くなり、神社が経済的に困窮する時期がありましたが、長壁様のご利益の一つ「縁結び」のお蔭で東照宮に於いて結婚式を挙げる方が増え神前結婚式ブームを巻き起こしたのも長壁様のパワーと言えます。

戦災から東照宮を守った長壁様のパワー

明治政府により東照宮の御本殿にお鎮まりになった長壁様は、ご利益のパワーは発揮するも、怒る事無く鎮まっておりましたが、 ある民間企業が以前長壁様がお祀りされていた祠(前橋城の未申の地)を取得して開発しようとした時、 また利根川を増水させ河川敷に駐車していた車77台を押し流してしまった事は皆様の記憶に新しいことと存じます。平成10年9月の出来事です。

その直後、地元住民の説得もあって祠を取得した企業は祠には手を付けずにそのままにしておりますので一安心です。

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